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ホワイトデー
 世間では(って言うとまるでわたしが世間じゃないみたいだけど、もちろんわたしも世間だよ!)、今日はホワイトデーってやつなんだけど、何となく今のわたしには関係のない感じになっている。
 あ、彼氏がいないっていうわけじゃなくって。無事とっても素敵なこ、恋人がいる。ええと、半年くらい前から。つまり付き合ってから初めてのホワイトデーで、バレンタインデーには手づくりチョコをあげていて(はりきってフォンダンショコラを作ったの)。ううん、そんなの何にもなくても、何てったって相手は裕真くんだから、確実にプレゼントをくれる。これももちろん。もうそれこそ目が回る位忙しいのにちゃんとわたしが好きなものを用意してくれるの。わたしの話にふうん、って淡々とした相槌を打ちながらその実内容をしっかり覚えていて、何でもない日に不意にそうだこれ、と何でもないようにわたしの欲しいものをくれて、いっつも嬉しい驚きでたくさん!
 で、わたしがびっくりして何も言えないでいると、少し困ったような顔で気に入らない、って首を傾げてくるから、それでもってわたしがそんなことないよ、すっごく嬉しいよって言うと、よかったってふわりと笑うから、もう、毎回とっても困るの! ずるくない? ずるいよね、これ!
 まあでも今日は朝からずっとお仕事だって言うから、当日は無理だよねってことになって。来週の土曜日に約束したから、今日はわたしには関係ないと言うことなのだ。なので、真っ直ぐ家に帰ってきてるのだ。小春は当然デート。ちょっといいなあって思ったけど、お仕事だからしょうがないよね。
 ――なんて考えながらリビングでしばらくぼんやりしていたら、見慣れた顔が大写しになった。
「あ……! ゆ……冬弥くん……!」
 いけない、いけない。相変わらず秘密なのだ、わたしの同級生で彼氏の裕真くんが俳優だってことは。
「なあに、最近好きね、小春ちゃんの影響?」
 わたしの大声を聞きつけて、ひょい、とキッチンからお母さんが顔を出す。うん、そう、とか何とか言ってごまかしつつ、わたしはもう一度テレビに顔を向けた。
 ――あ。今日、これからラジオの公開録音なんだ。
 壁に掛けられた時計を見上げる。ガラス張りのスタジオはわたしも買い物で通りかかったことがあって。何て言うか、今から頑張って行っても間に合うんじゃない……?
(よし、決めた!)
 そうと決まったらちゃっちゃと着替えなくっちゃ! こら、走らないの、って言うお母さんの注意もそこそこに、わたしは制服のリボンを乱暴に外しながら部屋へ駆けていった。

「……これで良いよね……」
 頭からさっとかぶったのはニットのワンピース。これもこの前小春とアウトレットに行って買ったやつなんだ。フードとボンボンがついてるのが可愛いなあって思ってる。ま、コート着ちゃうと裾くらいしか見えないんだけど、そこはそれ、別問題よね。
 うん、一回鏡の前でターンしてみて、急いでダウンジャケットを羽織る。
「お母さん、ちょっと出かけてくる!」
「もうすぐごはんよ、何処行くの!」
 言い放ってみると、当然ながらお母さんの怒り声がかぶせられてくる。
「ごめんなさい、ええと、一時間くらいで戻るから!」
 でもごめんなさい、聞いている暇がないの。間に合わなかったら何の意味も無いんだから!

 スタジオの前は物凄い人でごった返していた。警備員さんも何人もいて、まるで満員電車みたい。ロープまで張られちゃって、わたしはギリギリ中へ滑り込んだ形になった。
 でも電車と違うのは、みんなが同じ方向をきらきらした顔で見てるって言うこと。冬弥くん、って言う黄色い声がたくさんで、うちわを作ってきているひともいて。わたし、手ぶらだったなあ、なんて思いながら硝子の向こうを見つめた。
 ――あ。
 と、そこへ。一際歓声が大きくなったその向こう。
 遂に裕真くんがゆっくりと姿を現した。フードのあたりにもふもふの毛がついている、ダッフルコート。その下はふわっふわの真っ白いセーターで、少しはにかんだような顔でこちら側へ手を振って……これ、全力でずるいよね……!
 ふとその綺麗な双眸が細められた。表情を変えないまま何度か瞬きをして、ゆっくりとわたしを――多分周り中「わたしを見た」って思っていることは悲鳴みたいな声が響き渡ったことからも明白だ――見て、うつくしく微笑んだ。そしてひらひらと手を振る。わたしは、と言うかみんなでそれに手を振り返す。
「ちょうカッコいいよね……!!」
 ブースに入ってヘッドフォンを装着し、裕真くんはパーソナリティと向かい合って座った。番組が流れ始める。
「絶対こっち見たって、あれ!」
 興奮気味に呟かれる台詞にうんうんと心の中で何度も頷いて、わたしは最後に小さく手を振るとその場を後にしかけた。
『――今日はホワイトデーですが、冬弥くんは誰にお返しをするんですか?』
『はい、妹に。今年も手作りしてくれたので』
 唯ちゃんの話が始まって一段と和らいだ裕真くんの表情を名残惜しく見遣る。それにみんながきゃあきゃあ言って。わたしももっといたいけど、これ以上遅くなると本当におうちに入れてもらえないかもしれないから。
「また、ね」
 小さくちいさく声にだして呟いてみれば。
 裕真くんも微かに頷いた、ように見えた。
 そんなささいなことで、もう本当に。息ができないくらい。

 土曜日に、ワンピースが可愛かった、って口にしたりとか、とびっきりの笑顔でそろそろとわたしの手を握って、そこに華奢なネックレスを滑り込ませてきた、とか、それはまた、別のお話。